禁断の果実

「ん?」

風呂から上がったあと、経済雑誌を片手にもってリビングに入った私は、石榴がソファーの上にあるのに気が付いた。

買った覚えのないその果実を不審に思いながら手にとってみる。石榴はずっしりと重く、豊潤な香りを放っていた。



そういえば、以前もこんなことがあったような気がする。

何となく嫌な予感がしたものの、芳香に誘われるままつやつやと光るその粒に歯を立てた。
 
 


「ん…」

気がつくと、私は見知らぬ空間に来ていた。

「っ…?!」

意識がはっきりとしていくにつれ、私は己の身の異変に気が付いた。

背もたれへ回された腕は後ろ手に縛られ、足は赤いロープで椅子の脚へ縛り付けられていた。

家にいたときには着ていなかったはずのシャツとスラックスに食い込んで自由を奪っている。


一体どうしてこんなことになっているのか。私は記憶の糸を手繰り寄せて考えた。

風呂から上がったあとは…確か、石榴を口にして…

そこから先は記憶がない。石榴を食べたことが夢なのか、今この場が夢の中なのか。

「お目覚めですか、御堂孝典さん」

後ろから呼び掛けられ、驚いて振り返った。

そこには、黒いコートを着こんだ見知らぬ金髪の眼鏡の男が立っていた。

いつの間に後ろにいたのだろうか。なぜ自分の名前を知っているのだろうか。

…この男が、私を拉致し縛ったのだろうか。

すると、私の心を見透かしたように、男は柔和な笑みを浮かべながら言った。

「手荒な真似をして申し訳ございませんでした。

ですが、貴方にお会いしていただきたい方のご注文ですので、ご了承ください」

「私に会わせたい者だと…?」

嫌な予感がした。こんな馬鹿げた注文をする人間には心当たりがある。私を辱しめたあの男にちがいない。

「それでは、お入りください」

男の声に呼応するように、部屋の扉が重厚な音を立てて開いた。

その扉の向こうには、予想外の人物が立っていた。

「……〈私〉!?」

スーツを寸分の隙なく着こんで立つ男。その男は、紛れもなく御堂孝典…そう、自分自身だった。

「お、おい…‥」

これはどういうことだ、と男に問いかけようとしたが、さっきまでいたはずの男の姿はどこにもなかった。

仕方なく、もう一人の自分に目を向けてみる。

世の中には己に似ている人間が三人いる、と言われているが、目の前の人間は自分そのものだ。

「驚いたな」

もうひとりの〈私〉が口を開いた。声音も、口ぶりもまったく同じだ。口元を笑みの形に歪めた〈私〉が近づいてくる。

「あの男が言ったことが本当だったとは」

「…どういうことだ?」

自分とは違って、もうひとりの自分はあの男から何かを聞かされているらしい。

「君、いや、私、か…。何を知っているんだ?」

私の問いかけにもうひとりの〈私〉はにやりと笑った。不敵なその笑みに不穏なものを感じる。

「私も詳しいことは聞かされていない。私が知っているのは…」

ゆっくりと近づきながら、もうひとりの〈私〉は言葉を続けた。

「そっちの世界の〈私〉が佐伯克哉に強姦された、ということだ」

「なっ…!」

背中に冷たいものが走った。誰にも知られていないはずのこと―葬り去りたい記憶―をあの男と、

目の前にいるもうひとりの〈私〉が知っている。

「しかも、お前はそれから何度も佐伯に犯されているそうじゃないか。まったく…‥」

どんどん歩み寄ってくる〈私〉から逃げようと、無駄だと分かっていながらも身じろいだ。これ以上傷を抉られたくない。

「近づくな!」

どうにかして逃れようと椅子の上でもがく。

だが、椅子がガタガタと揺れるだけで、無様な姿をもうひとりの<私>に晒すだけだった。

「ふ…‥無駄だ。それはそう簡単には解けないぞ?」

〈私〉の手が胸元へ伸ばされてくる。シャツの上から胸の突起を指でなぞられ、思わず身体が小さく震えた。

侮蔑の眼差しを向けられるのを感じた。

「さて…」

〈私〉が耳元に唇を寄せて低く囁いた。

「折角の機会だ。…楽しませてもらおうか」

「な、何を言って…」

これからされるであろうことを予期した私は戦慄した。

他人に身体を蹂躙されるのだって耐えられないのに、よりにもよって自分自身に犯されたくはない。

「なに、自慰しているとでも思えばいい。それとも、佐伯になぶられる方がいいのか?」

「そんなわけないだろう!」

屈辱的な言葉に、怒りを露に怒鳴った声が部屋へ響いた。あいつの顔など思い出したくもない。

「本当にそうか?」

「っ…‥」

布地の上から乳首の先を爪で軽く引っかかれ、わき上がった甘い疼きに身体が小さくはねた。

「たったこれだけで感じるとは…。随分と淫乱な体にさせられているんだな」

嘲弄しながらシャツ越しに舌で乳首を吸われ、転がされた。

反論したくてもあられのない声を上げそうになって、唇を噛みしめて堪える。

それでも身体が反応してしまうのを抑えることはできない。

「ふ…上だけでこれか?」

スラックスの上からすでに膨らみきっているそこを掴まれた。

「んんっ…!」

「これなら、乳首だけでイけるんじゃないか?」

膨らみをなぞる指が離れ、シャツを力任せに開かれた。ボタンが弾け飛び、床へばらばらと落ちる。

「嫌だっ、やめ…ん、ふぅ…っ」

拒絶の言葉は、唇によって強制的に消された。ざらりとした熱い舌が歯列をなぞる。

自分ではない自分の舌が口内を蹂躙していく感覚に戦慄を覚えた。

「ん…っ」

うっすらと目を開けると、<私>と目があった。

紫闇の瞳は欲望の色を帯びていた。その肉食獣のような瞳には既視感がある。

レンズ越しかそうでないかの違いはあるが、あの佐伯が私をなぶる時の目に似ていた。

「佐伯にそんな目を向けているのか…。誘っているとしか思えないな」

<私>の嘲弄に首を振って否定する。そんな私の様子を楽しそうに見ながら、<私>は私のベルトの金具に手をかけた。

金属が擦れる音が深紅の部屋へと響く。チャックが下ろされ、はしたなく立ち上がった性器が取り出された。

浴びた外気ですら刺激となってしまい、自分の浅ましさに嫌気がさす。現実から目を背けたくて、私は固く目を閉じた。

「んんっ!」

目の前の空気が揺れたかと思った瞬間。私自身が生暖かい粘膜に包まれるのを感じた。

驚いて目を開けるとしゃがんで私のモノを含んでいる<私>が視界に映った。

「や、やめ…っ、ぁアッ!」

拒絶の言葉は小孔をなぜる舌によって途切れた。時折聞こえる卑猥な水音が、私の鼓膜までも犯していく。

止めさせたくても拘束された身体ではかなわず、与えられる快感を受け入れることしかできない。

「嘘をつくな…‥」

欲情した低い声で<私>が言った。先端をキスをするように唇で触れられて、その度に甘い疼きが身体へと走る。

「こんなにいやらしい液体を垂れ流して…」

<私>は、私に見せつけるように、私自身を握っていた手のひらを私へと向けた。

ぬめりを帯びた透明な液体が、部屋の光を受けてぬらぬらと輝いている。見ていられなくて、私は目を反らせた。

「どうした?恥ずかしいのか?」

口許を笑みの形に歪めて見上げてくる<私>と、あの男が重なる。

こんなことは望んでいるはずがないのに、身体は早く刺激を得たいと疼いていた。

それでも、かろうじて踏みとどまる理性が制止の言葉を吐き出させた。

「もう、やめろ…」

だが、そんな言葉は軽く無視され、<私>は再び私のモノへ愛撫を始めた。舌や指が、私の敏感な部分を同時に刺激する。

「ん、ぁ…ぁ…っ」

みっともない声が唇から洩れでるのを止めることができない。駆けめぐる快感で身体が跳ね、椅子ががたがたと揺れた。

「ぅ…ァ、もぅ…ヤッ!」

抗いようもない吐精感に、私は懇願するように叫んだ。その声を聞いた瞬間、<私>の瞳が意地悪く光った。

一気に先端を吸い上げられ、登り詰められようとした刹那、根本をぐっと握られた。

限界まで高められた身体がもどかしさで痙攣する。

「っ…、やだ…ぁ……」

「嫌なんだろう?射精するのが」

すがるように視線を投げた私を、<私>が冷徹に言い放った。

「イきたくないのだろう?」

「……っ」

追い詰めるように重ねられた言葉に理性が追い詰められていく。

何も言えず生理的な涙をこぼす私に、<私>は獰猛な笑みを向けた。

「イきたいなら、懇願しろ」

「嫌…だ……」

崩れる寸前の理性が悲鳴のような声を上げた。

拒絶は欲で掠れて、どうにか聞き取れるくらいの音量にしかならない。

「フン…ならば」

根本を押さえたまま、<私>はまた私のソレを口に含んだ。ざらりとした熱い舌が亀頭や裏筋をねぶる。

「ひっ…やァ…!」

もどかしさと強すぎる快感が私の身体へと何度も叩きつけられていく。

根本を握られる痛みですら、今の私には快楽へ変換される。
 


このままでは、狂ってしまいそうだ。
 


「その手を…はな、して…くれ……」

私は涙を流しながら目の前の征服者へ哀願した。

「駄目だ」

冷然と拒絶され、また、空いた方の手で私の乳首をつままれた。

新たなる快楽の波が容赦なく私に襲いかかってくる。

「ぅあっ…は……」

拒絶の言葉を吐こうにも、唇からはもはや言葉にならない音しか洩らすことができない。

「やだ…も、許し…」

「許さない」

絞り出すように告げると、<私>はにやりと笑って言った。

ほの暗い苛立ちと怒りを含んだ視線で私を射抜きながら。

「な‥。…ッッ!!」

一呼吸おいたあとに、それまで根本を押さえていた手で扱かれた。

先端は再び口に含まれ、舌による愛撫が与えられる。

ぎりぎりまで焦らされた身体は、快楽を貪りながら一気に絶頂へと高められていく。

「はっ、…ん、ァアア!!」

縛り付けられた不自由な身体を反らせながら、私は精をもうひとりの<私>の口内へ放った。

そのまま、私の意識は闇の中へと沈んでいった。
 
 



 
 
「……ぅ」

どのくらい時間が経ったのだろうか。視界に入ったのは、紅い部屋ではなく見慣れた私の部屋。

私はほぅ、と胸を撫で下ろしながら、気だるい身体をゆっくりと起こした。

やはり、あれは夢だったのだ。

大体、もうひとりの自分なんて現実に存在するわけがないではないか。

そう自分自身に言い聞かせて立ち上がろうとしたとき、私は愕然とした。

白濁した液が、股間や床を汚していた。まるで、その場で自慰をしたかのように。

「私、は……」

したのか?自分で。

だが、そんな記憶はまったくない。

では、夢精でもしてしまったのだろうか。

どちらにしても、それにしては身体が重だるい。

呆然としながらも、私はとにかく身体を清めようとシャワールームへ向かおうとした。
 
 
 
 


「楽しませていただきましたよ、御堂孝典さん。では、また、近いうちに…‥」

楽しげに笑う男の声は、私の耳に届きはしなかった。