克哉がMGNに移って一週間ほどが経った。
キクチとの社風の違いに戸惑うこともあったが、それでも御堂と一緒に歩む新しい生活は刺激的で楽しい。
そんなある日の昼休み。
克哉は社内のカフェで買ってきた二人分の昼食を持って、御堂の執務室へと向かっていた。
今日の昼は、御堂には特別な予定は入っていなかったはずだ。
今日の御堂のスケジュールを頭で確認しながら廊下を歩いていく。
いつの日か見た、執務室で仕事をしている昼休みの御堂の姿を思い出して、克哉は小さくため息をついた。
新プロジェクトが立ち上がってからというもの、御堂は休む暇なく仕事に追われていた。
(忙しいのは分かるけど…。せめてご飯はちゃんと食べてほしいな…)
急な来客のために一食抜かざるを得ないのはやむを得ないと思う。
だが、御堂は普段からあまり昼食をきちんと摂っていなかった。
ひどいときは、砂糖を入れたカフェオレ一杯、なんてこともある。
御堂の立場上、やらなければならないものは自分より遥かに多いとはいえ、もう少し自身の身体を大切にしてほしい。
(今日はちゃんと食べてもらうぞっ)
パソコンの画面に対峙しているであろう恋人を思い浮かべる克哉の歩く速度は、自然と上がっていった。
「失礼します」
軽くノックをして室内へ入る。返事はなかったが、御堂は部屋にいた。
「お昼買ってきたので…、あれ……?」
御堂の様子がいつもと違うことに、克哉は気が付いた。
よく見ると、御堂は椅子に背中を預けて目を閉じ、寝息を立てている。
(眠ってる…のか…)
克哉は袋をテーブルに置いて、御堂を起こさないように注意をしながら側へ近づいた。
(珍しいな…、昼休みとはいえ…)
眠っている御堂の横顔をじっと見つめる。
ブラインド越しの柔らかな光を浴びるその顔からは、うっすらと疲労の色が窺えた。
前よりも顎のラインが細くなったような気もする。
(あまり無理はしないでほしいんだけど…)
克哉はふぅ、と小さくため息をついた。
(……どうしよう)
ちらりと時計に目をやって、時刻を確認する。
昼休みの終わる時間まではまだゆとりはあった。
克哉は再び御堂へ視線を戻した。御堂は瞳を閉じたままだ。
(そういえば、あのときもこんな風に御堂さんの寝顔見てたな……)
克哉は情事のあと夜中に目覚めて、深い眠りに就いていた御堂を眺めていたときのことをふと思い出した。
あのときは、御堂の心が見えなくてただただ不安だった。そして、自分自身の気持ちにも気付いていなかった。
だが、今は違う。互いの心が通い合って、今こうして一緒にいる。
幸福感がじわりと湧いて、克哉は自然と微笑んでいた。
端正な御堂の顔を見ているうちに、何となくいたずら心が出て、克哉は御堂の唇に触れるだけのキスをした。
「……っ!?」
唇を離そうとした刹那、いきなり後頭部に御堂の手が回され、引き寄せられた。
驚きで開いた隙間に舌が割り込まれる。
「んっ…ぅ……ふ……」
口内を犯す御堂の舌に翻弄される。漸く解放されたときには、克哉の腰はすっかり砕けていた。
御堂に寄りかかってスーツにしがみつき、何とか身体を支える。
「み、御堂…さん…、いつから起きて……?」
乱れる呼吸をどうにか整えて、克哉はそう尋ねた。
「さぁな」
御堂は意地の悪い笑みを浮かべてそう言うだけで、ちゃんと答えてはくれない。
「教えてくれたっていいじゃないですか……」
克哉は頬を赤く染めながら、不満げに呟いた。
キスの余韻でうっすらと涙を潤ませるその表情は、昼だというのに扇情的だ。
「…そんな目で見るな。それとも、誘っているのか?」
御堂が笑いながらさらりと言った大胆な言葉を聞いて、克哉の頬がさらに赤くなる。
「なっ…違います!」
「そうか?物欲しそうな顔をしているが」
御堂の手が克哉の腰に回り、布越しに尻を撫でた。克哉の身体が微かに震える。
「み、御堂さん…、こんな、ところで…っ!!」
いつぞやここで通話中に悪戯されたことを思い出し、慌てて克哉は御堂から離れようと身を捩った。
だが、予想に反して、御堂はあっさりと克哉を解放した。
拍子抜けしたような様子の克哉に、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、御堂が言う。
「安心しろ。鍵もかけずに君の期待へ応えるようなことはしない」
「き、期待なんてしてません……っ」
咄嗟に否定したが、御堂はまだからかうような笑みを浮かべていた。
恥ずかしくて逸らせた瞳に、テーブルの上に置いた袋が映る。
「あ、そういえば…」
(…オレは御堂さんにご飯渡しに来たんだった)
ちょっとした予想外のことと、今さっきのキスで忘れていた本来の目的を思い出す。
時刻を確認すれば、食事を取るだけの時間はまだあった。
克哉は御堂の側から離れると、テーブルに置いておいた袋を持ってきた。
怪訝そうに克哉を見る御堂へ、袋から取り出したパンを手渡す。
「お昼、まだでしたよね?まだ時間ありますし、一緒に食べませんか?」
「ん?あぁ。…わざわざ買ってきたのか?」
「はい。今日は御堂さんもお昼は空いていたと知っていたので」
言いながらコーヒーの入った紙のカップを取り出す。
だが、紙から伝わるコーヒーの温度から温くなっていたことに気付いた。
「すみません、冷めちゃっているんで買い直して…」
「いや、別にいい」
御堂は克哉の申し出を断ってカップを受け取った。
カップを持ったままパンをデスクに置き、無言で克哉に近づく。
「…御堂さん?」
克哉の呼びかけに応えずに御堂はコーヒーを一口、口に含んだ。
意外に温かかった液体を舌で転がしながら、克哉を引き寄せた。
「ぇ…っ、みど、…んっっ!?」
言葉にならないうちに、克哉は再び御堂に唇を塞がれた。
御堂の口内で温められたほろ苦い液体が注がれる。
克哉が注がれたコーヒーを飲み込むと、御堂はゆっくりと口付けを解いた。
「温かかっただろう?」
「なっ…」
動揺を隠せない克哉に、口角を上げて御堂が言葉を続ける。
「買い直さなくても大丈夫だ、と教えたんだ」
「ふ、普通に教えてくださいっ」
克哉は顔を真っ赤にして抗議するが、そんな克哉の反応すら御堂は楽しんでいるようだった。
部屋に広がる甘い空気を感じながら、この先本当に御堂と一緒のオフィスでやっていけるのか、克哉は不安になったのだった。